おはようございます。
フォレスト出版の清水です。
祝日の本日、
みなさんどのように過ごされますか?
私は平日より時間があるので、
こんなこと、ふと考えてしまいました。
「援助交際」って悪い事ですか?
いや、別にしたいわけではなくて、
ふと思ったのです。
でもちょっと考えてみてください。
たとえば、
目の前に援助交際をしている女子高生がいたとして、
アナタならなんと言いますか?
たぶん一番簡単なのは、
「それは法律違反だからやめなさい」
でしょうか。
たしかに売春ですから、悪いことですし、
正当な答えです。
しかし、
女子高生はこんなことを言うはずです
「たしかに法律違反かもしれない。
じゃああなたは賭け事はしたことないんですか?
赤信号では一度も渡ったことはないんですか?
二十歳になる前に一度もお酒を飲んだ事はないんですか?
それも法律違反でしょ。どう違うんですか?」
そう言ってきたら、
アナタはどう答えますか?
そうなると、次に出てくるのは
「性は神聖なもの」という道徳観
を持ち出すでしょう。
でも、道徳観は人によって違います。
そもそも、「性は神聖」だと思っていないから、
援助交際をしているわけです。
そんな人に
「性は神聖なもの」だからやめなさいと言ったって、
伝わらないですよね。
だってその娘にとっては、
「ただのサービス」です。
自分の体を使ってサービスを提供して、
買ってる人も喜ぶ。
ビジネスは成立しています。
どこが悪いんでしょうか?
ここまできたら、アナタはその女子高生を
説得できますか?
もちろん、援助交際は法律違反だから悪いことです。
でも、問題はそこではありません。
この答えを考える前に
ちょっと話を変えます。
「仕事」。
それは結果が求められます。
●いくら儲かった
●どれだけ成績が上がったとか
●どれだけモノを生産できたか
●どれだけ効率的にやれたか
反対に「遊び」とは、
楽しいかどうか。
儲かったとかどれだけ生産できたかなんて
関係ありません。
もともと人間は「遊ぶ」ための生き物。
赤ちゃんだって物心ついたらまず遊び始めます。
ギリシャ時代では、
そもそも「働く」のは奴隷の仕事でした。
だから、ギリシャ人は遊べばよかった。
日本でも平安時代の後宮がそうでした。
女房たちは遊べばよかった。
掃除・洗濯なんて女房たちはしません。
そこで彼女たちの遊びとは、
「学問」「哲学」「芸術」を追求することでした。
だから一生遊ぼうと思ったら、
よほど深く学ばないと飽きちゃいます。
そのため、ギリシャ哲学も平安朝の文学も
今以上にすごかったはずです。
なぜなら、
一生遊ぶためにいろいろ考えているんですから。
たとえば、
「お姫様の生活っていいな」とか思ったりしますけど、
大きな間違いで
部屋は与えられるけど、そこから出られないんですから、
そんな退屈な生活はないです。
部屋からは出られないし、
いつも同じ女房たちと暮らさなきゃいけないから、
外の情報は入ってこない。
同じ女房たちだったら、そのうち会話もつきます。
それもテレビもゲームもインターネットもないのだから、
話すネタなんてそうそうないはずです。
だから、
お姫様や中宮が一番ほしかったものは何か?
それは、
退屈さを紛らわしてくれる女房でした。
話相手を探すためにスカウトしてたんですね。
そうやって選ばれたのが紫式部や清少納言でした。
だから、彼女たちは「遊び」が上手かったんです。
つまり、「学問」や「芸術」は遊びだったんです。
いまの遊びとは違って、とても深いものでした。
でも現代は、
いかに多くのものを生産するかという消費主義の世の中。
こういった時代だから私たちは
モノを生産しない遊びを否定してしまっています。
本来は、学問や芸術だった「遊び」が
いまやただの商品となってしまったのです。
本来の遊びとは、
自由で開放感があるもので
遊びの中で人間性を回復しなければならないのに
いつからか「遊ぶ」ということが「商品化」してきています。
マンガであろうがゲームであろうが、
お金を払って買う。
買ったゲームといえば、
誰かがつくったシステムにならって、
決められたものをなぞるだけ。
そこに自由はありません。
さらに仕事では、
やりたくないことをやらなくちゃいけないし、
下げたくもない頭を下げなきゃいけないし、
さらに「ノルマ」があって、結果がとわれる。
ここにも自由がありません。
ということは、現代人は
仕事で自由を奪われ、
さらに遊びでも自由を奪われています。
どこで人間性を回復すればいいんですか!!
ここで先ほどの答えが見えてきそうです。
いま問題なのは、
本当の遊び方を知らない子どもが多すぎるということ。
子どもが考える現代の遊びとは
「お金で商品を買うこと」
になってしまっているのだから。
いまの子どもたちは、
小さいときからありとあらゆるところで
欲望を刺激されています。
テレビをつければコマーシャル。
駅にいけばいたるところにポスターや広告。
どこにいってもコマーシャルだらけ。
ほしいものをこれでもか!と欲望を刺激してきます。
遊びもそうであって、すべて「商品」。
大人が大量生産したものを買う。
商品は買ってくれなければ、モノをつくれない。
不必要なものでも買わせないとダメ。
車だって本当は10年20年乗れます。
ファッションだって、何年も着れます。
けれど、毎年流行をつくって、捨てさせて買わせる。
そのためには、欲望を刺激し続けるしかない。
これがいまの社会です。
そんな世界で育った子どもたちは、
求めれば求めるほど、もっと欲しくなるのが常。
やがて、自分の欲望をコントロールできなくなった子どもたちが増える。
↓
お金がないと、遊びが手に入らない。
↓
でも、子どもたちは自分の体を売るしかないから援助交際をする。
そんな欲望をコントロールできない子どもが
やがて大人になったらどうなるんでしょうか?
自分の体が商品にならなくなったら、
どうやって欲望をコントロールするんでしょうか???
そう考えると、日本の未来は悲観的ですね。。。
なんでこんなことを思ったかというと、
潮凪洋介氏の『新しい「男」のルール』の
キャッチにある
「遊ぶように働き、働くように遊ぶ」
とはどうすればできるんだろうとふと思ったからでした。
欲望から逃れることはできない。
しかし、その欲望をいかにして使うかが
大切なんでしょうね。
ぜんぜんまとまりませんが、
今を生きる人のための「遊び方」「働き方」が
書かれていて面白いので、ぜひ読んでみてくださいw
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